以前のブログが凍結して消えた話し

そーいえば、私のTwitterのプロフィールをみるとブログ”海外就職gotcha”と書かれてるのは以前ワードプレス独自ドメインで書いてたブログのタイトルなんですけど。


忙しくてサーバーの払い込みするの忘れていて、まぁ後ででいいやみたいな感じで3ヶ月ほど仕事に集中した結果。


大切な家(ブログ)がなくなりました。ガーン


以前のブログの内容はといいますと、エロあり笑いありそしてまたエロありのブログだったんですけど。まぁウソですけど。


タイトル通りなのですが私モミジが海外の会社に就職する挑戦ブログを書いて皆さんにシェアするのが目的だったのですが。。サーバーのお金を払い忘れてほっといた挙句我が家が。。。ウワーーーーッッゥッっおぇっうっふぅ


すみません。取り乱しました。キリッ


でその肝心の就職する挑戦は現在進行形で続いており、今年働きながらお金を貯めつつ勉強してHotel managementの学科に合格でき、スタートラインに立ったばかりなのですがここで浮かれず私なりの最短距離で海外就職を勝ち取りたいと思っています。


そして、なぜ今回のブログはワードプレスではなくて、はてなブログで書いてるのかというと。。


無料だからです!!!ドーーーン


いや、でもまぁ。またワードプレスで書きたいですよブログ(遠い目)

でも私クレカ持ってなくて。だから海外に行ってる間、サーバー代が払えなくなってまたブログが消えるんじゃないかと思ったらなかなか踏み出せないんすよね。


海外でブログを書かれてる方でクレカ以外でサーバー代を支払っている方がいましたら教えてちょんまげ。





思い切って仕事を辞めて留学した話し 1

どーもモミジです。


まぁ、なんか重い話しなのかなって思ったそこのあなた!!


ちょっと待った!!!


いや、ちょ。。ち。。行かないでくだしゃい。


ま、待ってください!(土下寝)ドーン


もー、あなた達ドSですね。まったく。


これからお話しする内容は既に大人になっているけど夢が諦めきれなかった私の話しです。


まず、結果から先に言うとこの留学は大成功で1年後にニュージーランドのホテルで勤務することになります。


私が海外に興味を持ったのはとある一本の映画がキッカケでした。


子供の時に親が借りてきたビデオ(エロじゃないよ^_^) 天使にラブソングという映画を観てそこに出てきた若い修道女に恋をしてしまったのだ!!ドーン


もし英語を話せればあの修道女に会えるとぶっ飛んだ考えを持っていた幼少期の頃の私。


その思いがキッカケで、親に英会話を習いたいと言って6歳の頃地元の英会話教室に通わせてもらっていた。


そこの教室では発音の授業があり、自宅でも学習ができるようにと一台の機械を親が買わされたみたい。


その機械には付属のカードがついておりその機械に通すとカードに書かれてるフレーズを読み上げてくれるものだった。


こ、これは。。すげー!!機械が喋ってる!


私は夢中になりいつもその機械を使って発音を矯正していた。


しかし、ある日家に帰ると姉の友人が家に遊びに来ていた。私はいつも通りその機械で発音の練習をしようとカードを通したら姉の友人の声に変わっていた。


!?


な、なんだこれは。幼き私は動揺した。


How old are you?のフレーズが書かれたカードの音声が女性のシークレットゾーンの単語に変わっていたのである(衝撃)


私はもう一度聞いてみた。


ジーーーッ。。ま○子(ちょい外国人風)。。。ジーーーッ


私は姉の友人に激怒した。ふざけるななんで英会話をやってるのに、そんな単語を覚えなきゃいけないのかと。


しかたなく消して私の声で再度録音する羽目になったのだが、以前のネイティブの発音と比べて何かが違うと挫折を初めて感じた。


時は流れ24歳の時


私は現実的な大人になっていた。普通に高校を出て会社に入りずっとこのままここで働いて死ぬんだと思っていた。


家に帰ってなんとなくテレビをつけると、アナと雪の女王が公開されてLet it goという歌が流行ってるという内容だった。


私はなんとなく聞いていただけなのだが、聴き終わったら泣いてしまっていた。そして昔の子供の頃を思い出したのだ。


そういえば、英語を話せるようになってあの修道女に会うっていう夢だけ叶ってないな。


もう私は大人なので、あの修道女に会えることはほぼ不可能だと分かっていたけど、英語のことだけはまだ希望があるんじゃないかなと思った。


私は英単語だけは大人になっても暇つぶしに暗記していたので英語のアレルギーは少ない方だった。


もし英語を話せるようになれば海外で働けるようになるし、人生の選択肢も広がる。


そして、私を後押ししたのは、友人でも家族でも同僚でもない。


Let it goという歌だった。


エルサになった気分で私は次の日に辞表を出し、仕事が休みの日は留学の説明会に参加し情報を集めた。


周りの声は何も聞こえなかった、今さら英語なんて話せるようにならないだろとかそんな感じのものである。


誰が何を言おうがどうでもいい。私が幼少期の頃に感じていたワクワクが大人になった今でも感じることができる、こんな気分は久しぶりだった。


そして私は辞表を出した2ヶ月後にフィリピン英語留学に出発したのである。